人形町って、どんな街?

■ ドラマ「新参者」のロケ地・・・人形町界隈に会社があります!

水天宮・・・鶴の折り紙を奉納した場面、ご記憶されていますでしょうか。 甘酒横丁もたびたび登場しました。昔ながらの老舗や名店がいっぱい!雰囲気のある情緒豊かな下町です。 ちょっと足を延ばせば、日本橋も。街の雰囲気も楽しめて、美味い店も多い。食べ歩きには最高のロケーションです。

■ 人形町って、どんな街?

「人形町」は、東京日本橋にある歴史と伝統を持った粋な東京の下町です。
下町情緒の残る小粋な界隈は、安産・子授けの神様 水天宮を中心に、七福神を祀る八つの神社があります。

明治座や浜町公園にぬける甘酒横丁には、江戸時代から続く伝統工芸店や、味な老舗も多く残ります。
水天宮に参拝する妊婦さんや家族連れも多く、季節ごとに開かれる「せともの市」、「人形市」、「べったら市」では、日本独特の暮らしの中にある季節感に触れられます。

■ 人形町の歴史

詳しくは、こちらをご覧ください:http://www.ningyocho.or.jp/contents/charm/history.html

■ 商業の町 日本橋

江戸開府に伴い、街造りが進み、人足、職人等の流入で江戸の人口は急激に増加しました。それに伴い、大量の生活物資が必要となり、家康は「地代免除」の特典を設け、江戸城下への出店を奨励しました。この制度は「権現様御遺訓」と呼ばれ江戸末期まで続きます。これにより京・大阪などから商人たちが続々と集まり、日本橋を中心に商業地域が出来上がりました。日本橋の北詰から江戸橋にいたる河岸は、魚河岸五町(長浜町、室町など)と呼ばれた江戸の台所でした。また橋の東側一帯(人形町など)は、繊維街として発展。朝は魚河岸、昼は歌舞伎、夜は吉原に人々が繰り出し、「朝昼晩三千両のおち処」と唄われた記録もあります。

■ 人形町 町名の由来

安くて、短時間で楽しめる、庶民の娯楽として盛況だった人形芝居。 現在の人形町2丁目周辺には、人形を作る人、修理する人、商う人や、人形を操る人形師らが大勢暮らしていました。また、季節ごとに市がたち、正月には手鞠・羽子板、3月には雛人形、5月には菖蒲人形などを商い、年間をとおして賑わいの絶えない街でした。 「元禄江戸図」には堺町と和泉町の間の通りに「人形丁」と書かれており、当時からこの呼び名で親しまれていたようです。正式に「人形町」という現在の町名になったのは、関東大震災以降の区画整理によるもので、昭和 8 年になってからのことです。

■ 下町の心意気

江戸の末期、天保の改革(1841年~)による芝居小屋の移転で、一時活気を失った街は、明治に入ると復活します。現在の人形町二丁目辺りには芸妓の置屋御茶屋が多数集まり、芳町の名は柳町、新橋と並ぶ一流の花街としてその名を馳せました。“粋でおきゃんで芸がたつ“ともてはやされたのが芳町芸者。独特の下町気質と、秀でた遊芸が売りで、明治から昭和にかけて、著名人や相場師たちに親しまれました。相場師たちの遊びは「一夜大尽、一夜乞食」と言われるほど派手だったことが伝えられています。芳町芸者の代表は、日本の女優第一号となった貞奴。「オッペケペー節」で一世を風靡し新派の創設者でもある、川上音次郎のパートナーとして、日本の新しい演劇の普及に活躍しました。また昭和初期の芳町からは、歌手の小唄勝太郎が出ています。伝統ある芳町花街の心意気は、現在も人形町のそこかしこに息づいています。

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